ブラック校則

  • 2019.11.06 Wednesday
  • 00:29




思えば俺が高校生の頃に姉がDVDをレンタルして観てた「野ブタ。をプロデュース」をチラ見してたら何これ何この雰囲気?って思って観始めたらあっという間にハマって、そこで「木皿泉」とか「河野英裕」とかって名前を覚えて、其の人達の関わるドラマに注目するようになって、
思いは世界に宿るとか、自分が変われば世界が変わるとか、そういうメッセージにモロに影響受けつつも実際現実では陰キャのままで何も変わらず学生生活を終えてなんかズルズルと成り行きで社会人になって、
ここ数年はテレビドラマを見る元気がなくって「フランケンシュタインの恋」も面白いと思いながら4話ぐらいから観なくなっちゃって、代わりにって訳じゃないけど映画をよく見るようになって、年に50本?くらいは見るようになって、大した数字じゃないけどまあ普通の人?よりは観てるっぽい数字だと思うんだけど、好きな監督とか俳優さんの名前も明確に言えるようになってきてて、
そんな中で舞い降りてきたのがこの、「ブラック校則」。河野英裕プロデューサーの、いわゆる劇場版ではないオリジナル映画(がメインの企画)。ドラマ見る元気ないけど映画なら観るぜ!っていう今の俺にとってこれ以上ない企画で、でもなまじ映画見てるだけに映画としてどうなるんだろうかという不安もあったりして、ドキドキしながら観たんだ、そしたら結局好きだったんだ。
ぶっちゃけ映画としてどうとかまあ気にならない訳じゃないけど、映画だっつってんだから映画で良いんだし、撮り方はドラマっぽくても2時間前後の尺の物語として映画館で観る事に価値が付与されてくわけだし。ピタリとハマった配役、それに答える役者のパワー、いわゆる売れ線狙いだけのテレビ局映画や単なるドラマの延長線じゃない、映画を作ろうとする気概。それがここにあるんだよ。
ただやっぱりこの人の創る作品が好きだ、そう思える映画だったんだよ。
だから、少しでも気になったら観に行ってくれよ、今だ、早く早く早く早く早くはy

\ブログを開設しろー!!/

というわけでネタバレ無しの感想はこっち↓を読んでくれ(丸投げ)
https://filmarks.com/movies/85256/reviews/75267724


以降に具体的な内容をダラダラと書いていくよ。



JUGEMテーマ:映画





ネタバレ-----------------------------------------------------------------------------------


















・ブラック
劇中で描かれる校則は、おそらくではあるけど実在してるものをモデルにしてはいるのかな。意外と極端な例はあまり用いてないようにも感じるけど、"地毛"を"染めて"こいって十分思考停止なルールだし、日本特有だと思う。
現実に下着の色まで指定する校則が存在しているのだから決してファンタジーではない。手代木先生のような恫喝をしてくる教師というのも一昔前なら当たり前の存在であったろうし、今でもこういうあまりにも存在の強い教師がいるこらこそまかり通る理不尽が有るのだと思う。今まさに教師間のイジメ(という名の暴力恐喝etc)とか話題になってるし、いずれにせよ現実で報道されている事柄がこれ以上ない、この物語の説得力の補強になっている。(報道されるのは極端な例に過ぎないとも思うが)

ほっしゃんもとい、星田さんの演技力というかハマり役っぷりが凄くて怒鳴り声や授業中の教室にいちいち殴り込んでくる様が(暇か?)最高に最悪な不快感。
ただそこで教師陣の強み弱みもしっかり描写してくるのが面白い所で、あれだけ強気な手代木先生は弱みを握られ簡単に屈している。大多和先生は声は大きいが幾つかの発言にあるように意外と中立的なものの見方をしてくれるときもある。あと弱い。
森先生は理解があるが思い通りには中々出来ず、田母神先生は後ろ暗さがあって…。その上で外国人労働者まで駆り出してきたりして、「ブラック校則」というタイトルではあるが、単なる大人VS子供という枠に留まらず、全世代に突きつける物語であるという事がハッキリと描かれている。

実際「"ブラック"企業」だなんて言葉が流行語として存在している現代日本なのだから、まさにその縮図なのだろう。
そんな中で生徒たちは特に何も考えずに生きているか、あるいはこの中で必要最低限の無難な生活を送ることが出来れば…。と何も出来ずに、せずにいる。
でもそれだって一つの生き方ではあって、事実創楽も中弥も切欠が訪れるまではそれでも良いと思っていたというか、考えてもいなかったのだと思う。ただその中で、諦めはやがて同調となり圧力となっていって。私がそうだったからお前も、と、私が不幸になるなら皆不幸になれ理論。或いはこの調和を乱すな、と被害者がいつの間にか加害者となって、弱者がさらなる弱者を虐げる地獄絵図になる。


・創楽と中弥
自分が変われば世界が変わる。いじめられっ子がいじめっ子をこの世界から消してもいじめられっ子の心が癒えたり立場や人柄が変わるわけじゃない。学校生活はもしかしたらマシになるかもしれんけど、"消す"事にだって色んなコストがかかる。或いは自分が変わる為には、別に逃げてもいいし立ち向かってもいい。
本作もその行動選択には全肯定的。見守ってくれる親や友達がいるというのはとても幸福で優しい。希央の母親はあっけらかんとしているようで世界は学校だけで出来てはいないと我が子に諭しているようにも感じられる。必ずしも彼女を学校に戻すことが正義とは限らない。ではなぜこの物語はそれを目標とするのか?悪法を正す正義か?愛を持って人を救うヒーローか?当たらずも遠からずだがこの作品の潔さであり素晴らしいのが、それは単なる、恋であり、それを原動力に自己実現を成し遂げたいといういわゆる等身大で浅はかだけどとても純粋な、小野田創楽というただ一人の男の願望、なのだ。

この創楽の陰キャっぷりは演技脚本ともにかなりリアリティを持って作られており、趣味も勉強も続かない、成績は鳴かず飛ばず、発言力もない、友達も少ない、帰宅部。中弥のような器用さもない。非常に身につまされるし、こんな顔がキレイなハズの彼にそう思わされるという事こそ佐藤勝利の演技力でありそれを引き出すスタッフの手腕なんだと思う。七浦の名前を叫ぶ所とかクライマックスの所とか、声のボリュームやテンポがバグるのスゴいわかる。アクションとしてもオーバーさがない。

その上で、そんな彼がキレると一番怖いというのもやっぱり生々しさがあると思う。というのも、恋に向かって「校則を変える」と宣言したのも彼だし、火災報知器を押したのも彼だし、森先生やきらり達が覚悟を持って動き始めたのも彼の行動があったから。地上波やHuluのドラマでもそれは描かれている。色んな形で。(真の意味で火災報知器鳴らす気かよ)
劇中で中弥に唆されているという印象の強い彼だが、実は創楽が行動を起こして、そこに中弥が乗っかる、という形がほとんどなのだ。
とはいえ唆されてるのも事実なので、この辺は鶏が先か、卵が先か、みたいな問題だと思うし、互いを補完し合うのはまさに、二人で一つだった、り。

なんでこんな学校を選んだのか、という言葉は私の高校時代でも聞こえたことのある言葉だったかな。割りと共通した思いであり、結局これというのは今の状況を嘆き、もっと大きいものの存在のせいでこんな現実が存在しているのだと、要は責任転嫁のような慰めの意味合いに近い言葉であって、きっと他の高校に行ってても同じ言葉を吐いているんじゃないかなと思う。

では本当に嘆くべきはなにか?という所で中弥の言葉が真理。校則が決まっているという状況下で、最後に真に学校帰りにタピオカいちごミルクを買い食い(飲み)を許可するのは誰?自分だ。決まりがあるから、と諌めるのも自分。バレなきゃいいんだと気ままに振る舞うのも自分。嘆くのも自分。それを心得ているから中弥はヘラヘラしているようでとても心強い。
巫山戯ているようで確固たる良識があり、芯が一本通っている彼は何処と無く二人で一つだった誰かさんを思い出すが、あっちに比べて中弥はかなり計算高いしたたかさと突発的な状況をすぐに利用出来る臨機応変さを持ち合わせている超策士だったりする。(あれ?これも誰かさんな気がする…)
このテンションの高さで一見すると本音が見えない感じのキャラクターの造形力を表現しきっている高橋海人は演技経験ほとんどないらしく、河野Pや菅原監督の発言にもあるように、天才型なのだろうな。

兄弟役の戸塚純貴とのやり取りが地味に完成度高いと思う。本当に兄弟として長い時間を過ごしているかのような近さを感じたし、その上でコントとしてセリフの間とか言い方とか…完璧に面白くて凄かった。
父親が過労死というのもさらりと重要な要素だったり。


・町田希央というヒロイン
女優としてのモトーラ世理奈については「少女邂逅」という映画で観たことがあって。演技は勿論初々しいながらも独特の雰囲気は既にあって、映画の中で彼女自身のその存在感が中核を担っていてキャスティングとしてかなり計算されたものになっていたと思う。
本作においてもそれは健在で、同等の意味合い、狙いのキャスティングになっていたと思う。
顔つきは独特でそばかすが目立っててぱっと見いわゆる可愛い顔ではないかもしれないけど、結局演技は上手けりゃ良いってもんでもないのと同じで、目が大きいとか涙袋とかホクロとか皆が皆同じ可愛さであればヒロインになり得るのか、といえば決してそうでもなく。というか、モトーラ氏はその毅然として凛とした立ち姿は美しいし、喋り始めると意外と普通の女の子で、役柄としても特異な雰囲気はあるけどその実フレンドリーな子だったりして、"普通に"可愛い女の子である。それこそいわゆる可愛いかったりカッコ良かったりするヒロインとも違っててかなり独自性の強いキャラクターに仕上がっていたと思う。
それをアイドルアイドルした顔立ちの勝利くんと相対するヒロインとしてキャスティングしてくる所は画的な面白さもありつつ、やはりあまりに凝り固まっているルッキズム批判的な意味合いもあるのだと思う。
完全に余談だけど「フランケンシュタインの恋」の主題歌であったRADWIMPSの「棒人間」が収録されている「人間讃歌」。そのジャケットが彼女、モトーラ世理奈であった事には勝手に運命を感じてます(?)

地毛を認められず、校則によって登校を許されない希央は明らかに被害者でありはみ出し者であり、本人もそれは自覚する所で学校に未練はないとまで言い切っていたが、創楽が一度説得を試みると意外とあっさり翻意する。
ここの所展開として急に感じたが、その後の目的が軟化していく創楽に対しても批難することは決してなく、むしろ今一度写真の有無を母親に確認したりする辺り、本当に本当の本音は「普通に学校に通いたい」だったのか、或いは、創楽のような誰かにこうして声をかけられる事が本当に欲しかった事であって、そんな存在が有る学校なら通いたい、と思えたのかもしれない(「面白くなりそうだから」とも発言してたし)。創楽は決してそれを見抜いていたわけじゃないし無策だったけど、無策だからこそ彼女の心を動かす切欠として働いている。
学校に通い始めてからの彼女の変化はドラマの方でかなりほっこりした感じで語られていくので映画を見た人はぜひ確認してほしい。相互関係の描き方は主演二人だけにとどまってなくて、こういうキャラクターの立ち具合が本当に上手いんだコレが。
そこで今まで半ば放置していた母親は悪いのかと言えばそんな事はなく、抵抗を続ける、つまりは戦うことを選択した彼女に対して、こうしろああしろと言うのではなく、ただやりたいようにやってみなさい、と諭し親としてその帰りを暖かく迎え続けていた訳で。この抵抗が無ければ創楽が茶髪の彼女に目を留める事はなく、物語は始まっていなかったかもしれない。そう考えるとこの出会いっていうのは偶然も奇跡でもなく、染まる事なく抗い続けた彼女が引き寄せた必然なのかもしれない。主人公の助けを待つ姿は実に"ヒロイン"なんだけど、凛とした佇まいには裏打ちがある。


・Farewell...
中弥の心の叫びから始まる本音の落書き。現代的なSNSが姿を見せない本作。(逆にドラマでは主題の一つとして登場するが)代わりのように登場するのがこの壁の落書きで、コレが中々画期的で、メインビジュアルとしてこれでもかと印象に残るアートとして君臨していながら本筋においても、文章の癖、字面、字の大きさ、センス、全てが人柄を表しているまさしく象徴になっている。誰も消さないの?ってツッコミどころではあるけど。
翼を下さいの合唱もちょっとクサいくらいが丁度良く青春って感じなシーンになってたと思うので好きです。
中弥はここまでのムーブメントとなることを予期していたどうかは定かではないが、本音を引き出した上で、その本音に励ましの言葉を重ねていくシーンはかなり泣けてしまった。健気だし、何より、ここは本音を書き出す場であるとするなら、中々暴き出される事のなかった中弥の本音とは、彼等を励まし愛そうとするという事に他ならないという証明のシーンになっているからだ。

そのシーンの前にだって、中弥は特徴を見て誰が書いたか大体わかってたりして、その辺も中弥は人が好きなんだな〜〜このやろ〜〜って部分だったりする。生徒会長が七五調で喋ってしまうって設定はかなり面白くて、一度意識しだすと面白くて仕方なかったし徹底されてるのが非常に細かくて驚く。
ことねも面白くなければ即行動に出る怖い女だけど、自分を見ててほしいからそういうことをやってしまうって事自体は子供じみてて可愛いんじゃないかな。創楽を誘ってたのは好きというより、「顔が良い陰キャ」だからチョロいだろうと思って誘ってたんじゃないかなと思ったり。実際は陰キャだけどチョロくはなく。その上で出る言葉が「揃ってブス専かよ」って言い切ってるのがまた面白い所で…。
佐藤勝利みたいな綺麗なお顔を冴えない男の子っていう役に当てはめるのは実はそれ自体がツッコミどころになりかねない部分で、実際邦画の予告編で「いやコレがモテないって無理あるっしょ〜」って思ってしまう事も多い。その中で勝利は創楽という役を見事に演じきっているのだけど、その上で、その上で創楽の事を「陰キャだけど顔はイケメン」ってわざわざ言わせてくるの、中々ニクいなと思った。イケメンである事は認めてるんだよ。そこで更に「ブス」発言。すぐ顔の話をし始めるのは語彙のない人間の所業だと思ってるけど、そういう無粋さに対して先手を打つかのように自分から落としてくるのが隙がないな〜と思う。まあ僕は誰もブスじゃないと思いますけどね〜。

対してでんでん演じる校長の「ゴミから出た言葉はゴミ」という言葉のなんと無慈悲な事か。その中で森先生が柔らかい態度を見せたからか?大多和先生が好意的な事を言っているのがなんか意外だった。目的が違うかもしれないけど本音を聞きたいって心はあるのね。生徒の心の音を聞こうとしてくれる森先生は立派な高校教師だ。


・Stand Up! Now!!
フラストレーションが溜まりに溜まり、ついにちょっと壊れた創楽は革命の笛を鳴らす!!
…無策だけど!そこで中弥の機転により生徒達が行動を開始する!…なんであっさり皆協力してくれんの?ってちょっと引っかかる気がするけど、抑圧されてるのは皆おんなじという事と…ドラマを見てくれ!
ここが個人的には複雑に思うポイントで、創楽や中弥、希央と彼等の間にどんな関わりがあったのかはドラマで深く掘り下げられていて、たしかにここも映画の中に盛り込もうとすると上映時間は長くなるし、情報量としてバランスが崩れておかしなテンポになってしまうかもしれない。でも、このクライマックスをよりクライマックスたらしめる起爆剤として、必要な側面もあるので、どっちが良かったかなんて一概には言えないのだけど…う〜ん映画内で見せて欲しかったかな〜〜と思ってしまった。
幸いなのはドラマも面白いという事なので、映画を見てこの辺不足に感じた人は迷わず見てくれ。頼むよ。
特に樹羅凛と希央の絡みはメチャクチャ可愛いのです。そしてそれがそのままこのクライマックスの説得力になってるんです。

とはいえ、それぞれがそれぞれのフラストレーションを持って困難を打破していく様は、伏線回収的な気持ちよさもあり、ラップをバックに繰り広げていく演出は音楽映画的な作りの巧妙さも持ち合わせていて十分なカタルシスを生んでいたと思う。
「チャリで来た」はメチャクチャ笑ったけど、ドラマを見た後ではだいぶ色んな文脈が乗ってきてこういう所の作りは素直に上手いし巧妙に作られてるなと感じる部分。でもプリクラそんなにしっかりくっつくかな。
硬式野球ボールでスリーポイントも正直あんまり意味ない気がするけどコントロール大事!だって受け取るのは創楽だから!
謀反は謀反でも殿様を想っての反逆なのが彼等の泣ける所かな…。亀裂が入ったように見えても休み時間にわざわざ別のクラスなのに会いに来るぐらいなんだから、嫌いなわけないよ。

スクラップ工場のおじさん達が殴り込んでくるのは申し訳ないが本当に単純にただの警察案件だよと思って初見では乗り切れなかったりした。でも「本当は権力にツバなんて吐きたくなかった」ってリリックがメチャクチャ切なくて効いた。外国人労働者というモチーフの扱いとしても狙いすぎなきらいはあるが、これも現実。殴り込まれた学校は彼等が平和な連中で良かったね。こんな光石研の使い方思いつくの、多分この人達しかいないよね…。
この辺のわちゃわちゃ具合、ダメな人はダメそうだけど、でも革命にカオスは付き物ですからね。ココ最近カオスの使者な映画が幾つかありますが、この映画もカオスの使者な映画に仕上がってると思います(?)
校長先生が幾らなんでもあんな直接的にああいう事を言うのはちょっと無いんじゃないかな?実際には無いと思いたいが。

相手は柔道家とはいえ丸腰相手に竹刀で飛びかかるのって剣道人なのか?という疑問はさておいて意外な程の男気を見せた森先生が陥落しバンジー急須かと思われた所に真打登場と言わんばかり創楽が登壇!
そして繰り広げられる、めっっっちゃリアルな「陰キャが急にデカい声出し始めたぞ!」な空間!野次の質感がリアルすぎて見てられないとすら思えてくる。ある意味で手に汗握る。
いくらシチュエーションが出来上がったからって人がそんな根底から突然変わる事なんて出来ない。彼はヒーローではない。運動も出来ない腕っぷしも弱い、パソコンもよくわかんないギター引けないラップも出来ない、でも、彼には一つの想いがあって、だからここまで来たんだ、好きなんだ。という突然の未成年の主張!
どうでもいい大衆共は恋愛沙汰と聞いて急に盛り上がる!でも、希央は笑わずに聞いている。
冒頭の妄想と対比になっていて、大衆のヒーローにはなれないけど、ただ一つだけ本当に大切な部分だけ、彼はとっくに妄想を叶えていた。「ありがとう、創楽」

自ら動くメインキャラに比べてその他大勢大衆のなんと都合よく動くことか。これまで何も示してこなかった彼らが最後には手のひらを返す。野ブタでも描かれていた通り、実はドライに描いてくる河野節の一つだと感じた。
もっと言えば、クライマックスにおける「大衆」とは生徒だけかといえばそんな事はなく、校庭には名もなき教師という大人達が何人もただただ突っ立っていたのだ。

手代木先生へのトドメとしてのミチロウ君の翻意。ここでそんなハッタリをかませるのもやはり小野田創楽という男なんだよ。そしてそれに応えてしまったミチロウ君も空気を読んだだけでなくて、お互いにとっての解放を選んだのであり、同時に創楽への敗北宣言とも言えるだろうか。屈服でも逃亡でもない第三の選択肢を創楽と中弥は示したのだ。まあミチロウ君的にもここ以外に動画を解放するタイミングはなかったろう。


・18万円
予告編でおそらく全野ブタファンがツッコミを入れたであろう「キザ」「バカ」もとい「あまおう」「黒歴史」。
革命成功の祝宴としてまたしても中弥の素晴らしい発想なわけでして。(細かいけど計算は創楽によるものだったりしてね、ね、)森先生と大多和先生が来てるのがなんか凄く可愛かったです。
でもこの18万円には裏があって……というネタバラしが練られた脚本だな〜と素直に関心してしまった。
中弥も同じだった。あの美しいかんざしを守りたいと思っていた…。中弥の何かが悪かったというわけでもないのだろうけど、想いが届かず影を落とし、笑顔の仮面を被って本音を滅多に出さなかった彼が遂に耐えきれずに零した本音が落書きとなり、それが転じて皆の叫びを呼び寄せる事になるという構造。ある意味ではアレは寄り添い合う同志達の姿でもあったのかなぁ。まあ暴言もたくさんあったけど。
成海璃子、あんまり観てない内にめっちゃ綺麗になっててびっくりした。胸が揺れまくりなのもビックリした。


・ホワイト
事を終えた後、本音を書き込みまくって黒くなり、その上イラストまで描かれ色づいた壁は綺麗に塗りつぶされる。真っ白に。「なんで私がやらないといけないの」という叫びは実にごもっとも。乱雑にペンキをぶっかけて残された言葉は…「freedam」。これ入力してる時めっちゃ綴り間違ってるぞって赤下線が出てます。
黒く塗りつぶされていた彼等の心は今一度白く塗りつぶされ、新たなfreedamが記されたのだろう。実に詩的で綺麗なシークエンス。


・Light My Fire
小出しにされていた放火事件。燻っている心のメタファーって所なんだろうし、直接関係ないところでは爆発もそのままの意味で、爆発を切欠に全てが一気に動き始めた。
ラストカットに関して、どう捉えれば良いのだろう、って別にそんなに深く考える必要も別にないのだろうけど、ちょっと考えてみて思いついたのは、上記の介錯の通りで、放火犯も逮捕され、その燻りも消えた後の新たに始まる"放火"はそのまま次なる事件への予兆、つまりは次回予告なのかな。もうちょっと好意的に解釈するなら、真っ白になった心に新たに火が灯っていく。という所でしょうか。何言ってるか自分でもよくわからなくなってきたがつまりはハートに火をつけてって事じゃい!


画面的には映画的なものは少なく、そういう点では冷静に評価してるつもりではあるのですが、自分でもビックリするくらい入れ込んでます、ブラック校則。あと何回かは劇場で観ておきたい。やっぱり結局好きみたいだし、面白かったから、そう思えるんだと思いますマジで。映画として良いモノを作ってくれて本当にありがとうございました。次回作も勝手に期待してます!

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